富士フィルムホールディングスCEOである古森重隆氏の話の続き。

富士写真フィルム(当時)はデジタル化の波に洗われ、
写真感光材料はピーク時の売上6割、利益の3分の2が消滅した。
それを見越した画期的な業態転換。
社名から写真を抜いて、ヘルスケア分野に進出した事を以前書いたように思う。

ただし、

☆写真文化を守ることが使命☆

であることを今も貫いていることには、脱帽。
震災後の写真復元ボランティアやチェキ(物凄い技術が詰まっている)等。

その富士フィルムが傘下に置く富山化学工業。
開発した抗インフルエンザ剤がエボラ出血熱に効くというので、話題にもなった。
この辺りにもドラマがあり、また別の機会に。

ここからは古森氏の話に戻ろう。
1965年、入社3年目である古森氏が担当していた製品「フジタック」の売上が急激に落ち、
生産停止の声も出始めた。
フジタックとは、写真フィルムのベースであり、
当時はアニメのセル画などにも用いられるようなものであった。

会社の将来を考えて、
自分の意見を明確に上司に伝え説得することが、
本物の社員

ユーザーにニーズを聞き、新たな用途を見出だし、上司を説得した古森氏。
後にフジタックは、液晶パネルを構成する偏光板を保護するフィルムとして使われる。
1990年20億円程度の売上だったものが、2010年には2000億円規模に拡大している。

☆ある時は革新的に、ある時は歴史ある物の価値を守り抜く☆

これが、昨日書いた「青い商人」との共通点だっ。