1945年のこの日、東京大空襲で8 万人超の方が亡くなった。
ご冥福をお祈りしたい。

正確な数字は未だにわかっていないが、午前0時8分から始まった爆撃により一夜にして死傷者は15万人に及んだと言う。

米軍は、16年春より焼夷弾の開発を本格化して、17年にはM69集束焼夷弾を開発。
ユタ州の砂漠にあるダグウェイ試験場に、東京の下町に見られるような長屋を再現して燃焼実験を行った。
その長屋を作った人物が、帝国ホテルの設計したフランク・ロイド・ライトの弟子であるアントニン・レーモンド。
日本滞在の経験を活かして、精巧なモデルを作ったそう。

このM69を一機あたり6トン積んだB29戦略爆撃機330機が、低空から東京下町に侵入する。

約38万平方キロの火の絨毯が眼下に広がった時、アメリカの航空兵達は我が目を疑った。
高く上がった火柱の炎で、腕時計の針を読むことが出来たからだ。
『ニューズウィーク』1945年3月19日号による

これを境に、焼夷弾による無差別爆撃が地方の大都市でも行われるようになった。

すみだ郷土文化資料館が集めた空襲体験画の中に空襲翌日の浅草・松屋を描いたものがある。
14歳の男の子が描いたものだが、24時間経っても松屋デパートからは黒煙が立ち上ぼっている。

合掌